施主の喜びと憂い

2008年1月26日 08:14
あるお施主さんの言葉です。

家を造ることは生涯最大のイベント。人生でもっとも高い買い物と言われる家であるが、少なくともワタシにとって買い物という感覚で捉えられるものではない。洋服や食料品を購入するように家を買う人もいるのかもしれないが、そんなふうに考えることができるならこれほど深く悩んだり考えたりはしないし、またそんなに簡単に家を考えるべきではないと思う。

ワタシたちは、自分たち仕様の家を希望した。規格住宅では要望を盛り込むにも限度がある。工務店と打ち合わせを重ね、注文住宅というかたちとなる。規格住宅であれば大工さんの手間が省けるところも、そういうわけにはいかず工期は大幅に遅れた。遅くなることはあっても早くなることはない・・・そう頭では理解していたものの、1日でも早く入居したいという思いはあった・・・が、引渡し予定日まで2週間あまりとなった現在、改めて家について考えている。

家とは、財産?自己実現? 融資を受ける際は財産とみなされる。近所の人はおそらく自己実現と見ているだろう。当のワタシたちにとっては「居場所」である。自己実現も外観ではなくて内面の自己表現ということではあとからついてくるものだと思っている。心やすらぐ場所、遠慮も仮面も脱ぎ捨てて本音で語り合う場。ときにはケンカもするだろう。ふざけあい笑いあうことだってある。そんな居所がほしかった。

大工さんや電気屋さん、基礎屋さんに材木屋さん、左官屋さんに板金屋さんなど多くの職人さんと、それを指揮する現場監督、工務店、ワタシたちの家のために数え切れないほどの人が動いてくださっている。そんなことを考えるとありがたいの一言に尽きる。ビジネスだと言い切ればそうなんであるが、長きに渡って苦楽?を共にしてきたそこには当然感情も入り混じる。

家を造るって本当に楽しくてタイヘンなことだ。一生に一度こんなすばらしい経験ができてよかった。まだ先は残っているが、ひとまずここまで来たことを喜びたい。そして、最初の気持ちを見失わないでおこう。

家を建てていることを知っている友人・知人から決まって聞かれるのは「いつ頃できそう?」という言葉。ワックスや壁塗りの段階に入っている時に自分たちで塗っていると言うと驚かれる。そんなことを素人ができるの~? 珍しい、楽しそう、どんなのか見てみたい、そんなふうに言ってくれる知人もいる。
多分、楽しんでやるときっとうまくいくし、この楽しみが長く続けばいいと思うようにもなった。
いや、完成してからの楽しみも待っているのだ。

家をつくることとは、かくも深く尊い。言葉では表せないほどの感動と感情の行き違い、喜びと憂いに満ちている。
(株)ムラモト 村本 喜義

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